人民新聞に「女たちの座り込み」が掲載されました<木村結さん寄稿>

「女たちの座り込み」 ―――女たちの合い言葉は臨機応変――― 木村 結
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 10月27 日〜29日は福島の女たちの座り込み、そして30日〜11月5日は全国の女たちの座り込みが経済産業省のテントを中心に行われました。
 経産省のテントは「9条改憲阻止の会」が「原発憲法違反」と2ヶ月前から座り込みを開始し、3張りのテントを設置、その一つを借りての実施でした。
 野田総理の国連での演説に反対するためニューヨークに行った福島の女たちが座り込みを決め、それを応援しようと全国の女たちが引き継いだ結果10日間の座り込みとなりました。

 私は福島の3日間はスタッフではありませんでしたし、終日参加した訳ではありませんが、3日間で2371名の女たちやサポートの男たちが詰めかけ、熱気に満ちあふれていました。27日には「原発即時停止・子どもたちの疎開に関する要請書」を野田総理などに提出。28日には、「渡利の子どもたちを守れ!政府交渉」そして最終日は東電前から銀座へと1000人がデモを行うなど福島の女たちが中心のパワフルな行動が繰り広げられました。

 30日からは全国各地から集まった女たちに引き継がれ、31日、11月1日には「ランチアピール」として経産省保安院が入っている別館前で1時間づつ、2日には厚労省内閣府が入っているビルの前で「福島の子どもたちを一刻も早く避難させて!」とチラシ撒きとアピールを連日40人程で行いました。チラシの受け取りは割と良く、連日600枚ほどを撒ききりました。4日には福島からも12人がバスで到着、「霞ヶ関・東電周遊デモ」を100人で行い、ランチ時の霞ヶ関、新橋の役人やサラリーマンに訴えました。

また30日は応援に来た福島瑞穂さんから日越の調印があることを聞き、急遽ベトナムへの原発輸出反対署名を開始、23時間で6600筆以上が集まり、野田総理、枝野経産大臣、玄葉外務大臣、安住財務大臣に届けましたが、秘書の受け取りに留まりました。その後、首相官邸前で「枯れ葉剤で今なお苦しんでいるベトナムの子どもたちに放射能を押しつけることは許されない」と抗議し「ファンドイ・ハッニャン」(反対核仁)とベトナム語でもシュプレヒコールしました。

3日には人為ミスで止まっていた玄海原発4号機を深夜11時に稼働させるというニュースが飛び込んで来たため、急遽稼働反対の署名を行い、たった13時間で8000筆以上の署名と150以上の賛同団体が集まりました。
丁度佐賀県から玄海原発の差し止め訴訟の原告石丸初美さんが参加していたので、署名と要請文を枝野経産大臣に持って行きましたが、枝野大臣の秘書はTV局が同行したことに異を唱えカメラを回す、回させないで15分以上押し問答。国民の目から何を隠そうとしているのか?まったく不可解な対応でした。そしてひたすら秘書に頭を下げるテレビ朝日の弱腰にもあきれてしまいました。
署名は佐賀県の東京事務所、更に、九州電力東京支店にも持参しましたが、九州電力は面会許可を3名に限り、氏名を明らかにすることを条件にしてきました。
私は長年東京電力の株主運動をし、東電に抗議文を持参しますがこのような条件を付けられたことはなく、やらせメールなどの問題もまだ解決していない九電のあまりに不遜な対応にあきれてしまいました。有楽町駅前の電気ビル前では80人程が抗議行動をしました。

また4日には「今すぐ脱原発!『運転再開すべきでない』4つの理由」と題して院内での論点整理の勉強会、5日には「避難の権利・集会in東京〜自主避難に賠償を!」と座り込んでいる暇がない程に連日いくつもの集会やデモをこなしました。

 更に福島が始めた指編みで作られた長い長い毛糸ロープは29日に経産省を取り囲んだ後、直径60センチほどの球体に巻き上げられ地球となりました。

30日から始まったバナープロジェクトは40センチ四方の布に各自がメッセージとイニシャルを書き込み横に10枚繋げるものですが、こちらは7日間で55本も完成、最終日の交流会で日比谷公園カモメの広場をメッセージバナーで取り囲むことができ、福島に10本プレゼント出来ました。

 この座り込みは多くの感動がありました。デモや集会ではなかなかじっくり話せない多くの元気な女たちと交流ができたこと。そして何よりもひとりで参加した方も様々なイベントを選べることで、参加した実感を感じていただけたこと。受付で名前を書く時は不安そうだった顔が帰る時には「また来ます」と明るい顔に変わっていたことが嬉しかったです。
10日間テントを中心とした拠点を持つことで、その場で直ぐに相談し行動を決め、その場で呼びかけられるため、大きな機動力を発揮することができ、その結果も直ぐに共有できたことが大きな成果です。

 今回集まった女たちは各地で様々な脱原発に向けた取り組みをしています。夫々は団体に属していても、今回は個人での参加でした。その参加形態がより自由な発想と、より自由な機動力を生んだような気がします。
またもっと多くの女たちと自由な場で逢えることを信じて。